ピトケアン諸島の概要
南太平洋の絶海に浮かぶ、人口50人前後の世界最小級居住コミュニティを擁するイギリス海外領土。
基本情報
ピトケアンはタヒチとイースター島のほぼ中間、周囲300km 以内に他の有人島を持たない孤島群で、唯一の有人島ピトケアン島にほぼ全住民が暮らす。1790年、英国軍艦「バウンティ号」の反乱者とタヒチ人女性が上陸したことから共同体が形成され、現在の住民もその子孫が大半を占める。英本国の支援でインフラや通信環境は整備されているが、空港は無く、フランス領ポリネシアのマンガレバ島との船便だけが外界との定期的な交通手段となっている。豊かな漁場と亜熱帯の気候に恵まれ、小規模農業と郵便切手・ハチミツ・ドメイン名販売が主な収入源。小さいながらも独自の方言と文化を守り、訪問者を温かく迎えることで知られる。
- 正式名称
- ピトケアン、ヘンダーソン、デュシーおよびオエノ諸島
- 通称
- ピトケアン諸島
- 国コード(数字3桁)
- 612
- 国コード(英字3桁)
- PCN
- 国コード(英字2桁)
- PN
- 推計人口
- 約50人 (2021)
- 人口密度
- 約1.1人/km2
- 主要言語
- 英語, ピトケアン語(ピットケルン語)
- 主要宗教
- セブンスデー・アドベンチスト教会
- 国歌
- God Save the King
- 国際電話番号
- +64
- インターネットTLD
- .pn
歴史
1790年にバウンティ号反乱者が定住して以来、子孫が島を守り続けている。1838年に英領植民地となり、現在は自治権を持つ海外領土として存続。
15世紀まではポリネシア系住民がいたが、彼らが去った後の1767年に英国人ロバート・ピトケアンが再発見。1789年の「バウンティ号の反乱」で船を乗っ取った一団は追跡を逃れるため小島を目指し、1790年に到着して定住した。苛烈な内紛の後、生き残ったジョン・アダムスはキリスト教的規律の下で共同体を再建し、1814年に英国海軍が訪問した際には平和な社会を築いていたことが報告された。1838年に正式な植民地となり、1938年には構成4島全体を含む現在の領域が確定。2004年の未成年女性への性的暴行事件を契機に、英国政府が司法・警察・通信を含む大規模インフラ投資を行い、現代的な行政制度と生活基盤が整えられた。
地理・気候
火山性の険しい本島と、周囲をサンゴ礁に囲まれた低平な環礁島が点在。切り立った断崖と熱帯林、ターコイズブルーのラグーンが対照的な景観を作る。
亜熱帯海洋性気候
- 面積
- オセアニア / 47 km²
- 首都
- アダムスタウン
- 最大都市
- アダムスタウン
- 海岸線の有無
- 有
政治
政治体制: 立憲君主制下の英国海外領土(ニュージーランド駐在の英国高等弁務官が総督を兼任し、島議会が自治を担う)
経済
通貨: ニュージーランド・ドル (NZD)
GDP(名目):
GDP(PPP):
言語・時間帯
主要言語: 英語, ピトケアン語(ピットケルン語)
時間帯: ピトケアン標準時
文化・習慣
民族集団
ピトケアン人(英・ポリネシア混血), イギリス系, タヒチ系ポリネシア
国民的スポーツ
バレーボール, クリケット, タッチラグビー, バドミントン, フィッシング競技