ノーフォーク島の概要
オーストラリア領の小さな火山島で、ノーフォークマツと流刑植民地の歴史で知られる。
基本情報
ノーフォーク島は、オーストラリア本土から約1,400km東に浮かぶ面積34.6km2の外部領土。 島中にそびえる原生のノーフォークマツ、エメラルド色に輝くエミリー湾のラグーン、世界遺産に登録された流刑植民地遺跡など、自然と歴史遺産が調和した景観が特徴である。 住民はピトケアン島から移住したバウンティ号反乱者の子孫と豪州・NZ系移住者が中心で、英語のほかクレオール語のノーフォーク語が日常的に話される。 経済は観光業が柱で、年間約3万5千人の旅行者がホエールウオッチングやダイビング、歴史散策を楽しむ。 オーストラリア連邦法の下にありつつ、独自の文化とコミュニティ意識を強く保っている。
- 正式名称
- ノーフォーク島(オーストラリア領)
- 通称
- ノーフォーク島
- 国コード(数字3桁)
- 574
- 国コード(英字3桁)
- NFK
- 国コード(英字2桁)
- NF
- 推計人口
- 約2,200人 (2021)
- 人口密度
- 約63人/km2
- 主要言語
- 英語, ノーフォーク語(Norfuk)
- 主要宗教
- キリスト教(英国国教会、合同教会、カトリックなど)
- 国歌
- Come Ye Blessed(島歌)/God Save the King(公式)
- 国際電話番号
- +672
- インターネットTLD
- .nf
歴史
無人島を英国が1788年に流刑植民地化、その後放棄と再開を経てピトケアン島民が定住し、現在は豪州外部領土として限定自治を行う。
古代には東ポリネシア人が一時定住した痕跡が残るが、1774年にジェームズ・クックが上陸した時には無人島であった。 1788年、ニューサウスウェールズ植民地から囚人が送致され、海軍用亜麻と松の確保を目的とする流刑地が開設。 天然港の欠如などで1814年に一度放棄されたが、1825年により厳格な流刑地として再開し「地獄の島」と恐れられた。 1856年、バウンティ号反乱者の子孫194人がピトケアン島から移住、以後島の中心住民となる。 1914年に豪州連邦直轄領、1979年にノーフォーク島法で立法評議会が設置され限定自治を獲得。 2016年に自治法が廃止されニューサウスウェールズ州法の適用を受ける地方評議会体制に移行したが、自治権を巡る議論は現在も続く。
地理・気候
火山活動で隆起した台地を中心に、海食崖と白砂ラグーンが交互に続く。島全域にノーフォークマツが林立し、内陸は肥沃な赤土の丘陵。
温暖な亜熱帯海洋性気候
- 面積
- オセアニア / 34.6 km²
- 首都
- キングストン
- 最大都市
- バーント・パイン
- 海岸線の有無
- 有
政治
政治体制: オーストラリア連邦の外部領土(限定自治下の地方評議会制)
経済
通貨: オーストラリア・ドル (AUD)
GDP(名目):
GDP(PPP):
言語・時間帯
主要言語: 英語, ノーフォーク語(Norfuk)
時間帯: ノーフォーク島時間
文化・習慣
民族集団
ピトケアン系, オーストラリア系白人, ニュージーランド系白人, イギリス系, ポリネシア系, その他欧州系
国民的スポーツ
ラグビーリーグ, クリケット, ゴルフ, サーフィン, フィッシング